サラはエジプトの女ハガルのアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクと遊ぶのを見て、
ハガルはアブラムに男の子を産んだ。アブラムはハガルが産んだ子の名をイシマエルと名づけた。
しかし、その当時、肉によって生れた者が、霊によって生れた者を迫害したように、今でも同様である。
そのしるすところによると、アブラハムにふたりの子があったが、ひとりは女奴隷から、ひとりは自由の女から生れた。
アブラムの妻サライは子を産まなかった。彼女にひとりのつかえめがあった。エジプトの女で名をハガルといった。
エルサレムはその悩みと苦しみの日に、 昔から持っていたもろもろの宝を思い出す。 その民があだの手に陥り、 だれもこれを助ける者のない時、 あだはこれを見て、その滅びをあざ笑った。
幼な子でさえも、その行いによって自らを示し、 そのすることの清いか正しいかを現す。
わたしのあだは骨も砕けるばかりに わたしをののしり、 ひねもすわたしにむかって 「おまえの神はどこにいるのか」と言う。
しかし、わたしは虫であって、人ではない。 人にそしられ、民に侮られる。
彼らが神の使者たちをあざけり、その言葉を軽んじ、その預言者たちをののしったので、主の怒りがその民に向かって起り、ついに救うことができないようになった。
このように飛脚たちは、エフライムとマナセの国にはいって、町から町に行き巡り、ついに、ゼブルンまで行ったが、人々はこれをあざけり笑った。
なおほかの者たちは、あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った。
またイシマエルについてはあなたの願いを聞いた。わたしは彼を祝福して多くの子孫を得させ、大いにそれを増すであろう。彼は十二人の君たちを生むであろう。わたしは彼を大いなる国民としよう。
しかし今はわたしよりも年若い者が、 かえってわたしをあざ笑う。 彼らの父はわたしが卑しめて、 群れの犬と一緒にさえしなかった者だ。
さて、おさなごは育って乳離れした。イサクが乳離れした日にアブラハムは盛んなふるまいを設けた。
あざける者を追放すれば争いもまた去り、 かつ、いさかいも、はずかしめもなくなる。